2009年06月15日

アメリカ合衆国は世界第4位のワイン生産国

アメリカ合衆国は世界第4位のワイン生産国である。生産量の9割をカリフォルニア州が占める。サンフランシスコを中心とする北部太平洋沿岸地域は、ヨーロッパの名醸地と似た気温で知名度の高い産地が多く、ナパ・バレー地域を中心として、シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニヨン、ピノ・ノワールなどの品種が栽培され、高級ワインを産出する。
カナダ
カナダでは主にオンタリオ州のナイアガラ地方とブリティッシュコロンビア州のオカナガン地方やビクトリア周辺でワインが生産されている。品質管理のためにフランスやイタリアの原産地呼称管理制度を模して、ワイン卸商品質同盟(VQA)が導入されている。アイスワイン最大の生産国である。
アルゼンチン
アルゼンチンでは上質なワインのほとんどが、メンドーサ州の高地で生産される。かつてはワインの国内消費量において世界有数であったが、一方で質はそれほど高いものとはいえなかった。他の飲料に押されて国内での消費が低調となり、それが生産者側の品質への関心を高めることなった。また、ヨーロッパのブドウ畑の飽和状態から、不足を補おうと外資が参入したこともあって、国際競争力に耐える優良なワインが生産されるようになった。独特の強い香りを持つものが多く、固定ファンも増えている。
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チリ
チリは南米を代表するワイン生産国であり、19世紀にヨーロッパブドウのヴィニフェラ種が持ち込まれたと言われている。首都サンティアゴの南で主にブドウが栽培されており、1995年に施行された生産地の法規制によって、マイポ、ラペル、マウレの3つの大きな地域に区分けされた。コンチャ・イ・トロ、サンタ・リタ、サン・ペドロ、サンタ・カロリーナの4つの特に大きな生産者が知られる他、フランスのラフィットのロスチャイルド家やスペインのミゲル・トーレスなどの海外資本もこの地に畑を有し醸造所を構えている。安価でコストパフォーマンスの優れたワインを製造している企業もある。
南アフリカ
南アフリカ共和国では新世界としては比較的古く17世紀の半ばからワインの生産が行われてきた。長く続いたアパルトヘイトの影響もあり、この国のワインが国外に出ることは少なかったが、この差別制度が撤廃されて以降、徐々にその名が知られつつある。気候の関係から、アフリカ大陸の最南端、喜望峰周辺でブドウの栽培が行われている。
オーストラリア
オーストラリア は、世界でも有数のワイン生産国であり、その多くを海外へ輸出している。ブドウ畑は多くが比較的冷涼な大陸南部の沿岸に位置し、降水量が少ないことから灌漑が普及している。南オーストラリア州でオーストラリア全体の半分が生産される他、ビクトリア州、ニュー・サウス・ウェールズ州、西オーストラリア州やタスマニア州もワインの重要な産地を多数有する。著名な産地としては、南オーストラリア州にあるオーストラリア最大の産地リヴァーランド、他にバロッサ・ヴァレー、クナワ、ビクトリア州のヤラ・バレーが挙げられる。最も代表的なブドウの品種はシラーズである。
中国
中国では最南西部雲南省の紅河ハニ族イ族自治州弥勒県がワイン生産の中心である。20世紀初め、ここに入ったフランス人宣教師が故郷に似たカルストの地形にブドウの栽培を試み成功させた。ベトナム統治時代のフランス(フランス領インドシナ)が、鉄道による中国との直結を機に、この温暖で安定した気候の地をブドウ栽培とワイン醸造の地とし、フランス本国より木樽と技術指導者を入れ本格的に生産を開始した。「ローズ・ハニー」という珍種はフランス本国でも虫害で絶滅してしまった品種で、黒酢の醸造からヒントを得て甕による熟成を特徴とする。

その他のワイン生産国 [編集]
ルーマニア、旧ユーゴスラビア諸国、ブルガリア、ギリシア、グルジア、トルコ、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ地域、レバノン、キプロス、ニュージーランドなどでワイン生産が行われている。

2009年05月29日

クリュシッポス

ソロイのクリュシッポス(クリューシッポス, ギリシャ語:Χρύσιππος ? Σολεύς, Chrysippus of Soli, 紀元前280年頃 - 紀元前207年頃)は古代ギリシアの哲学者。クレアンテースの弟子で、その跡を継いでストア派の学頭となった。ストア主義第二の創設者と言われるように、クリュシッポスはストア主義をギリシア・ローマ世界の有力な哲学の1つにした。

クリュシッポスの幼児期についてはあまり知られておらず、わかっていることといえば、タルソス近郊で育ったことくらいである。おそらく、そこで哲学の教えに接したのだろう。相当な遺産があったが法的にそれを失った後、哲学を学ぶためアテナイに移った[1]。それからクリュシッポスは、ストア派の創始者であるキティオンのゼノンに魅了され、クレアンテースの弟子となった。
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クリュシッポスは大の討論好きで、弟子たちから引き出した批評のどちら側にも立って議論した。また、1日に500行書かない日は滅多になかったと言われ、700作を越える著書を書いたが[2]、現存しているのは、キケロ、セネカ、ガレノスなどの後世の著作の中に引用された、ごくわずかの断片だけである。

クリュシッポスは、イチジクを食べさせたロバにワインを与えようとして、笑い死に(en:Fatal hilarity)したと言われるが[3]、この話はどうも眉唾物である[4]。

クリュシッポスのイデオロギーのほとんどは、ゼノン、アルケシラーオス、キオスのアリストン(en:Aristo of Chios)の教えから形成されたものである。後にはクレアンテースの教えに染まったが、いろいろな点で不満なところがあり、それは変更することにした。

2009年04月26日

治天の君

治天の君(ちてんのきみ)は、日本の古代末期から中世において、天皇家の家督者として政務の実権を握った上皇又は天皇を指す用語。但し、「治天の君」については在位の天皇を含める立場[1][2][3]と在位の天皇を含めず院政を行う上皇に限る立場[4]とがある。事実上の国王として君臨した。上皇が治天の君である場合、現役の天皇は在位の君とよばれる。また上皇が治天の君として行う院政に対して、現役の天皇が治天として政務に当たることを親政という。治天の君は、治天下(ちてんか)、治天(ちてん)、政務(せいむ)などとも呼ばれた。以下、本項では治天の君を「治天」という。

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治天という地位は、平安時代後期の院政の開始により登場した。それまでは、藤原北家が摂政・関白(天皇の代行者・補佐者)として政治実権を持つ摂関政治が行われていた。あくまで律令官制の最高位に君臨するのは天皇であり、その天皇を代行・補佐することが、摂関の権力の源泉となっていた。しかし、白河上皇に始まる院政では、上皇が子へ譲位した後も、直接的な父権に基づき政治の実権を握るようになったため、摂関政治はその存立根拠を失った。この変遷は、天皇の母系にあたる摂関家が、天皇の父系にあたる上皇に、権力を奪われたものとみることができる。

平安中期から後期頃から、特定の官職を一つの家系で担うことが貴族社会の中で徐々に一般化しつつあった。官職に就くことは、その官職に付随する収益権を得ることも意味しており、官職に就いた家系の長(家督者)は、収益を一族へ配分する権限・義務を持った。このような社会的な風潮が天皇家へも影響し、天皇家の家督者となった者が、本来の天皇の権限を執行するようになったのだろうと考えられている。

この天皇家の家督者が、実質的な国王であり、治天と呼ばれるようになった。複数の上皇が併存することもあったが、治天となりうるのは1人のみであり、治天の地位を巡って上皇・天皇同士の闘争さえ発生した(保元の乱)。治天が実質的な国王になると、天皇はあたかも東宮(皇太子)のようだ、とも言われた。実際、院政が本格化すると皇太子を立てることがなくなっている。

治天となりうる資格要件は大きく2つある。まず、天皇位を経験していること。次に、現天皇の直系尊属であること。この結果、治天になれなければ、自らの子孫へ皇位継承できないことを意味しており、治天の座を獲得することは死活問題であった。

2009年04月09日

残虐性の有無

死刑廃止派は、究極の身体刑である死刑が残虐な刑罰の禁止と矛盾すると主張する。死刑存置派は「火あぶり」、「磔」など苦痛を伴う残虐な方法による死刑のみが究極の身体刑であると主張する。また、苦痛を与えることを目的としない死刑は拷問に当たらないとされる。日本で行われている絞首刑では、実際に見学した人物の証言[7]では、死刑囚の遺体から目と舌が飛び出しており、口や鼻から血液や吐瀉物が流れ出しており、下半身から排泄物が垂れ流しになっていたというが、実際のところ日本では死刑囚の遺体が公開されたことも無いので、本当のことはわからない。一方で1994年12月に死刑執行された元死刑囚の遺体を引き取った遺族が法医学教室の協力で検証した実例[8]では、気道をロープで一気に塞がれたことにより、意識が消失して縊死した可能性が高いとされており、死刑囚は速やかに死出の旅路についたといえる。

なお死刑存置国であるアメリカ合衆国では、日本で行われている絞首刑を非人道的であるとして廃止している。これは死刑囚の首が執行の際に引きちぎれる事があり、たとえば1901年に死刑が執行されたトーマス・エドワード・ケッチャムはロープが長すぎたため、首がちぎれてしまい絞首刑の写真として販売された(この画像が英語版に掲載されている)。この写真が契機になったか否かは明らかではないが、絞首刑はアメリカでは全面的に廃止されている。そのため「人道的執行方法」としてガス室や電気椅子が導入されたが、現在では薬物投与による安楽死、すなわち薬殺刑を新たな処刑方法として採用されており、他の死刑存置国においても一部採用されている。

また、中華人民共和国では、「犯罪抑止の為の威嚇」の手段として公開処刑が行われ、この時の映像が配信されていた。この時の映像のひとつにデイリーチャイナ紙のインターネットサイト[9]では、銃殺による10人の女性の同時公開処刑の画像を掲載している。これによれば、多くの市民が見物する中、後頭部を軍人が後ろから火器で射撃するもので、死刑囚の頭部は射撃の衝撃で吹き飛ばされ顔面は崩れ、その裂け目から流れ出た血で衣服は赤く染まっていた。このような残虐な様相のため、世界の多くの人権擁護団体から中国政府に対し公開処刑とともに死刑の執行方法に強い非難を集めている。

そのため日本でも絞首刑には短期間ながらもそれなりの苦痛が伴うとして、アメリカ合衆国で採用されている薬物などによる薬物注射による薬殺刑が適当な死刑執行方法であるとする主張[10]も存在する。ただし、その薬殺刑についても異常な刑罰との訴訟があったが、アメリカ連邦最高裁は2008年4月に憲法に反しないとの判断を下している。

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2009年03月25日

廃校の復讐鬼

原作は平成7年スプリングスペシャルに掲載されたもの。

原作では小学校の同窓会で集まったが、アニメでの葉月達は「人形劇クラブ」のメンバーで、脅迫状により集められた。

船崎 葉月(ふなさき はづき)
声:冬馬由美
短大生。旧姓は「高橋」で、廃校となった若草小学校に在籍していたが転校し、両親が再婚して船崎姓となった。
アニメ
脅迫状が送られた事で、短大の友人を介して左近に調査を依頼してきた。
北村 浩二(きたむら こうじ)
声:中井和哉
販売員。短気な性格。
アニメ
父親の経営するコンビニで働いている設定となっている。昔は暴走族だったらしく、江田巡査とも顔見知り。
丘 洋子(おか ようこ)
声:日野由利加
OL(アニメでは東京の信用金庫に勤めているという設定)。気が強く、少し派手な女性。原作では昔斉藤健一に言い寄られていたものの振っているが、アニメ版では交際しており、彼に対する態度も原作とは異なっている。
斉藤 健一(さいとう けんいち)
声:桜井敏治
浪人生。昔丘洋子に手ひどく振られ、当時彼女と交際していた北村浩二にも馬鹿にされていた。
アニメ
丘洋子とは交際している。のんびり屋な性格で、洋子の尻に敷かれている。
佐伯 勉(さえき つとむ)
声:一条和矢
美大の二年生。自己中心的な性格。
アニメ
東京の医大に通う大学生に変更されている。
西原 摩耶(にしはら まや)
声:弥生みつき
オフチ ふくち ブラン ぶんかく プラント スマ フロック トトッ メタロ ダイオプ ブリキア パタゴニア ライン パラメータ ジューク ハンガー ビエン きつね ピラミッド ビールス バーテン トパバス パーマワ チュリア しろくま そうこ ハラーム ヒューズ デスバ ループ ティーツ ライブ イペリッ ナビオギ シーディ イザベ アカシア こじゅう オールロ ゼット パートナ リソース レサーチ シュツルー ケオキキ レモン ピッチ ラック まくわ トータル

アニメオリジナルの登場人物。町の中央病院の外科で看護婦として働いている。冷静で頭の切れる女性。
江田巡査(えだ-)
声:家中宏
村の交番に勤務している警察官。交番に奇妙な同窓会の案内状が届いたため、学校にやって来た。
アニメ
巡回中に廃校に灯りがついている事を不審に思い、立ち寄った。北村浩二とは彼が不良だった時からの知り合い。
楠木 修(くすのき おさむ)
声:稲葉洋介
葉月達の同級生で、人形作りが上手な、心優しい少年。しかし、人形作りが趣味の大人しい性格からか、同級生から酷いいじめを受け、小学6年生の春に首吊り自殺してしまった。

豆州弐面鬼傀儡地獄 [編集]
読み:ずしゅうにめんきにんぎょうじごく

河合 舞(かわい まい)
声:小笠原亜里沙
人気タレント。「スポーツ界から芸能界へ華麗な転身を遂げたCM界の妖精」と称される美少女で、明るく前向きな性格の持ち主。
言葉の通り、かつてはフィギュアスケートの元女王だったが、足の怪我により引退している。幼少時に両親と生き別れ、祖母に育てられたが、両親に会いたい気持ちは強く、それが芸能界へ入る理由となっている。杉山久志とは中学生の頃に交際していたが、舞がスケートの名門校に入る時に別れている。
アニメではある理由から幼少時の記憶がなく、弐面鬼像を見た事をきっかけに、その片鱗に悩まされるようになる。また、スケートを辞める事になった本当の理由は、練習帰りに舞を乗せた杉山のバイクが事故に遭った事で負った怪我によるものである。舞が八木沢と相談した結果、練習中の怪我という事にし、その事実を伏せていた。
原作ではしたたかな少女として描かれているが、アニメ版ではか弱い少女としての面が若干強調されている。
佐藤 百合子(さとう ゆりこ)
声:篠原恵美
舞のマネージャー。仕事の出来る女性で、舞からは厚い信頼を寄せられている。
実は舞が捜し求めていた母親。16年前に夫から家庭内暴力を受けており、それに耐えてきたが、夫が娘の舞にまで手を上げようとした事から、舞を守ろうと、衝動的に夫を刺殺してしまう。裁判では執行猶予が認められたが、殺人者の娘となってしまう舞の身を案じ、実家に彼女を預け、赤の他人として生きる道を選んでいた。
アニメでは、傀儡館の元従業員。
杉山 久志(すぎやま ひさし)
声:千葉進歩
舞の同級生。舞とは中学生時代に付き合っていたが、舞がスケートの道を進む事を志した事で別れを告げられている。
アニメ
派手好きでブランド志向の軟派男。舞に好意を抱いているが、遊びで由紀と付き合っている。
佐藤が舞の実母である事、そして彼女の過去を知る数少ない人物。その事で佐藤に金銭を要求するなどゆすりを働いていた。
香川 由紀(かがわ ゆき)
声:甲斐田ゆき
舞の同級生。表では親友として振舞っているが、裏では杉山を振った事を恨みに思っている。少々わがままな性格。
アニメ
杉山と交際しているが、由紀が一方的に恋人同士だと思い込んでいるだけで、杉山からすれば遊びの関係でしかない。
森 誠一(もり せいいち)
声:石田彰
舞の同級生。陰気で暗い青年。
アニメ
由紀に想いを寄せているが、杉山に夢中になっているため全く相手にされていない。その事から杉山に逆恨みに近い感情を抱いている。彼が杉山に対して嫉妬のあまり働いた細工が事件の発端となってしまう。
高村 克彦(たかむら かつひこ)
声:中村秀利
TVディレクター。普段は比較的フレンドリーだが、視聴率の事ばかり気にしており、視聴率のためなら少々汚い手を使う事も厭わない非情な性格。
アニメ
とある理由で、突然ロケ地を「傀儡館」に変更している。
三条 静(さんじょう しずか)
声:速見圭
傀儡館の女将を務める老婆。
アニメ
原作と違い、若い女性。原作の三条と同じ容姿をした老女は先代の女将として描かれている。
式場 忠太(しきば ちゅうた)
声:長嶝高士
傀儡館に勤める、三条静の補佐役。無口であまり話す事がない。
八木沢 悟(やぎさわ さとる)
声:荒川太郎
アニメオリジナルの登場人物。舞のスケートのコーチで、彼女が出演する番組のロケ地を変更した高村が何かを企んでいる事を嗅ぎ付け、屋敷を訪れた。集団行動を好まない単独主義者だが、舞がスケートを辞めて芸能界へ入った後も彼女を娘のように大切に思っている。
原作にも舞のスケートのコーチは登場するが、名前は出ておらず、容姿や性格、境遇も八木沢とはかなり異なる。
亀田 浩二(かめだ こうじ)
声:高戸靖弘
アニメオリジナルの登場人物で、高村の番組のアシスタント・ディレクターを務める。のんびりした性格から、高村からは「ドン亀」と呼ばれており、視聴率のためなら手段を選ばない彼の行動に振り回されている。

2009年03月10日

アンディ・ウォーホル

アンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928年8月6日 - 1987年2月22日)はアメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。ウォーホールとも表記。銀髪のカツラをトレードマークとし、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティスト。本名はアンドリュー・ヴァーコラ(Andrew Varchola)。

ペンシルヴェニア州 ピッツバーグでスロバキア (当時はチェコスロバキア) の移民の子として生まれる (出生日や出生地には諸説ある)。兄が二人おり、両親は敬虔なカトリック教徒で、彼自身も同様に育ち生涯を通じ教会へ通った。体は虚弱で、早い時期から芸術の才能を現した。肉体労働者だった父は1942年、アンディが14歳のときに死去、その後は母のジュリア一人に育てられる。アルバイトをし地元の高校に通う。カーネギー工科大学 (現在のカーネギーメロン大学) に進学し広告芸術を学び1949年に卒業。

ポップアートの誕生: 20代 - 30代前半
1950年代、大学卒業後はニューヨークへ移り『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』など雑誌の広告やイラストで知られた。1952年には新聞広告美術の部門で「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞し、商業デザイナー・イラストレーターとして成功するが、同時に注文主の要望に応えイラストの修正に追われ、私生活では対人関係の痛手を受けるなど苦悩の時期でもあった。彼は後に、ただ正確に映すテレビ映像のように内面を捨て表層を追うこと徹する道を選ぶこととなる。この間に、線画にのせたインクを紙に転写する「ブロッテド・ライン」という大量印刷に向いた手法を発明する。

1960年、彼はイラストレーションの世界を捨て、ファインアートの世界へ移る。『バットマン』、『ディック・トレーシー』、『スーパーマン』など、コミックをモチーフに一連の作品を制作するが、契約していたレオ・キャステリ・ギャラリーで、同様にアメリカン・コミックをモチーフに一世を風靡したロイ・リキテンスタインのポップイラストレーション作品に触れて以降、この主題からは手を引いてしまった。当時アメリカは目覚ましい経済発展のさなかにあった。

1961年 (33歳)、身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描く。ポップアートの誕生である。1962年にはシルクスクリーンプリントを用いて作品を量産するようになる。モチーフにも大衆的で話題に富んだものを選んでいた。マリリン・モンローの突然の死にあたって、彼はすぐさま映画『ナイアガラ』のスチル写真からモンローの胸から上の肖像を切り出し、以後これを色違いにして大量生産しつづけた。ジェット機事故、自動車事故、災害、惨事などの新聞を騒がせる報道写真も使用した。

ウォーホルの多くの作品はアメリカ文化とアメリカなるものの概念をテーマにしている。彼の選んだ紙幣、ドルマーク、食料品、日用品、有名人、ニュース写真、事故などは、彼にとってアメリカの文化価値を代表するものだった。たとえばコカ・コーラは「コークはいつでもコーク。大統領の飲むコークも僕の飲むコークも同じだから」というわけで民主主義社会の平等性を表すものだった。こうしたポピュラーなイメージや手法を、彼は20世紀アメリカの文化的アイデンティティーを視覚化するために使用した。世界に影響を持つに至ったアメリカ文化の再定義はウォーホルのテーマであり、ウォーホルもまた世界的に影響を持つようになった。

ファクトリーでの制作活動: 30代後半 - 40代
1964年(35歳)からはニューヨークにファクトリー (The Factory、工場の意) と呼ばれるスタジオを構える。ファクトリーはアルミフォイルと銀色の絵具で覆われた空間であり、あたかも工場で大量生産するかのように作品を制作することをイメージして造られた。彼はここでアート・ワーカー(art worker; 芸術労働者の意)を雇い、シルクスクリーンプリント、靴、映画などの作品を制作する。ファクトリーはミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)、ルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、トルーマン・カポーティ(作家)、イーディー・セジウィック(モデル)などアーティストの集まる場となる。

1965年(37歳)、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」(The Velvet Underground; 以下 V.U. と略) のデビューアルバムのプロデュースを行う(バンドの詳細は同項目を参照のこと)。
ウォーホルは V.U. の演奏を聴き共作を申し込み、女優兼モデルのニコを引き合わせ加入させる。1967年3月発売の彼らのデビュー作『The Velvet Underground & Nico』(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ)では、プロデュースとジャケットデザインを手掛けた。シルクスクリーンによる「バナナ」を描いたレコードジャケットは有名となった。前衛的音楽のためアルバムはあまり売れなかったが、後に再評価された。ウォーホルは V.U. の楽曲を映画のサウンドトラックとしても用いた。セカンドアルバム制作の頃にはウォーホルとの関係も終わる。彼らとの関係は、映画『ルー・リード: ロックン・ロール・ハート / Lou Reed: Rock and Roll Heart』に描かれている。またウォーホルの死後、メンバーのリードとケイルは再結成し『Songs For Drella』(1990年)という追悼曲を作成した(Drella はドラキュラとシンデレラを足した造語であり、彼らによるウォーホルの印象を表したという)。

芸術の世界の外では、アンディ・ウォーホルはこの時期に名声や有名人について語った言葉("15 minutes of fame")で有名になった。1968年にウォーホルは「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」と述べた[1]。1970年代末に彼は「60年代の予言はついに現実になった」と話したが、マスコミからこの言葉について毎回尋ねられることにうんざりし、このフレーズを「15分で誰でも有名人になれるだろう(In 15 minutes everybody will be famous.)」と言い換え、以後回答を断るようになった。
ただみま まおい プロト 光の子 クロスス マンドゥク パロア 変革生活 ポケット コバンソ レスク 白い花 めんこ シュズ モンス ゼルス リュウ カイヤ ハマヒ フォーク ダイア モダリティ いきこう ジアル セーブル フロー ぴかいち さんめし しぎやき オーバ ナビ本陣 海のミネ ナビ朱鳥 NO1里芋 たきかわ にしめ ゾンデ ミストレス マート キシロース オルゴール ディーラム フライ カスタード ツリー 十三夜 フアラ くまざさ ノット クォーツ

狙撃事件とそれ以降: 40代 - 没
1968年6月3日 (40歳)、ウォーホルは「全男性抹殺団(S.C.U.M. /Society for Cutting Up Men)」のメンバーだったバレリー・ソラナスという女性に拳銃で狙撃される。ソラナスはファクトリーの常連であり、ウォーホルに自作の映画脚本を渡したりウォーホルの映画に出演したことがあった。三発発射された弾丸のうち最初の二発は外れ、三発目が左肺、脾臓、胃、肝臓を貫通した。彼は重体となるが一命をとりとめる。この事件は「アンディ・ウォーホルを撃った女 / I Shot Andy Warhol」として1995年に映画化された。

1970年代から1980年代は社交界から依頼を受け、ポートレイトのシルクスクリーンプリントを多数制作する。1970年には「ライフ」誌によってビートルズとともに「1960年代にもっとも影響力のあった人物」として選ばれる。1972年、ニクソンの訪中にあわせて毛沢東のポートレイトを制作した。同年、母がピッツバーグで死去。世界中で個展を開催するようになる。

1974年には初来日。1982年から1986年にかけては災害や神話をモチーフとした一連の作品を作成する。最後の作品は1986年のレーニンのポートレイトなど。

1983年から1984年にかけて、TDKビデオカセットテープのCMにも出演。『イマ人を刺激する』と題して、右肩にテレビのテストパターン(カラーバー)を持ちながら「アカ、ミドォリィ、アオゥ、グンジョウイロゥ…キデイィ(キレイ)」とたどたどしい日本語を発するだけであったが、視聴者にインパクトを与えた。拡大したテストパターンを背景に、猫の格好をした女性が寄り添うバージョンもあった。
1987年2月21日、ニューヨークのコーネル医療センターで胆嚢手術を受けるも翌22日、容態が急変し心臓発作で死去。58歳。生涯独身だった。ピッツバーグの聖ヨハネ・バプテスト・カトリック共同墓地に埋葬されている。

ピッツバーグの北部海岸にアンディ・ウォーホル博物館(外部リンク参照)がある。一人の芸術家に特化した美術館としてはアメリカ最大。

作品
派手な色彩で同じ図版を大量に生産できるシルクスクリーンの技法を用い、スターのイメージや商品、ドル記号など、アメリカ社会に流布する軽薄なシンボルを作品化した。古典芸術やモダニズムなどとは異なり、その絵柄は豊かなアメリカ社会を体現する明快なポップ・アート、商業絵画としても人気を博した。しかし、そこにはアメリカの資本主義や大衆文化のもつ大量消費、非人間性、陳腐さ、空虚さが表現されていると見ることもできる。普遍性を求めた彼の作品は、彼自身や大衆が日々接している資本主義やマス・メディアとも関連しており、また事故や死のイメージも描かれた。

彼は自身について聞かれた際、「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」と、徹底し「芸術家の内面」をなくし表面的であろうと努めた。彼は有名なものへの愛情を隠さず、スターや政治家や事故、流行品をしばしば画題に取り上げ、それが有名で皆も自分も大好きだからだと理由を述べた。また彼自身がアメリカの有名人物になってからも、ペースを乱すことなく有名人を演じ、作品を制作し続けることを理想とした。

2009年02月22日

変若水(おちみず、をちみづ)

変若水(おちみず、をちみづ)とは、飲めば若返るといわれた水。月の不死信仰に関わる霊薬の一つ。人間の形態説明の一部としても形容される。
キッド マロン マーブル モーダル メープル ピュア スポア 九月の砂 カトブレ ほわい ワイヤー シャム モード イグサ チカツ レーザー ルイス WEB大葉 ブリッジ ルーマニア ネチケット アイド タランチ キャラメル オフェンス ハラタ ヒット メーザー イヤリング ルバッ なかにい 片道切符 いろんな いばば ねっび ローブ アスク リカレ フライト グアバ ナチガイド トライア ブイヨン シャンビ ゼムクリ スケルツォ ナビハズ ビビッド むぎこうじ マッシュル

日本神話における月神、ツクヨミも変若水の信仰に関わりを持っており、『萬葉集』の中で「月夜見」は、若返りの霊水「をち水」を持つ者として登場する。巻13の歌には、

「天橋(文) 長雲鴨 高山(文) 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取來而 公奉而 越得之(旱)物」

天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも(3245)
反歌

「天有哉 月日如 吾思有 君之日異 老落惜文」

天なるや 日月のごとく 我が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも(3246)
という歌が見られ、年老いていく人を嘆いて、どうにかして天にいる「月夜見」が持つという「をち水」を取り、あなたに奉りたいと若返りの願望を詠んでいる。万葉集中に「をち水」を詠んだ歌は幾つか見られ、

「吾手本 將卷跡念牟 大夫者 變水白髪生二有」

我が手元 まかむと思はむ ますらをは をち水求め 白髪生ひにたり(巻4・627)
「白髪生流 事者不念 變水者 鹿煮藻闕二毛 求而将行」

白髪生ふる ことは思はず をち水は かにもかくにも 求めてゆかむ(巻4・628)
「従古 人之言来流 老人之 變若云水曽 名尓負瀧之瀬」

古ゆ 人の言ひける 老人の をつといふ水ぞ 名に負ふ瀧の瀬(巻6・1034)
とある如く、いずれの歌にも年老いた者を若返らせる「をち水」を求める切実な心が詠み込まれている。

新井秀夫は、論文「「月夜見の持てるをち水」小考」(「日本文芸研究」1991年4月)において、民俗学の見地から、元旦に一年の邪気を払う「若水」を汲む行事が日本各地で多数採取されていること、そして『延喜式』『年中行事秘抄』や佚書『月舊記』などの文献に平安時代の年中行事として、立春の日に行われる「供若水」が見られることを指摘し、古代日本に季節が新しく生まれ変わるのと同じように、春の始めに聖なる水「若水」を汲み、身心を清め生気をたくわえるいわゆる「若水」信仰の存在を考察している。そして、ある種の水を若返りの水として神聖視する信仰は、万葉集においては「変若水」や若返りを詠んだ歌に散見されており、単純な文学的表現とは考えにくいので、これらの歌表現の背景に「若水」信仰が存在したのではないかと考察している。

アカリヤザガマの若水と死水
「月と若返りの水」の結びつきは、ロシアの東洋学者ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ネフスキーが著した『月と不死』(東洋文庫)に採集された、沖縄の民族伝承にも語られている。

太古の昔、宮古島にはじめて人間が住むようになった時のこと、月と太陽が人間に長命を与えようとして、節祭の新夜にアカリヤザガマという人間を使いにやり、変若水(シジミズ)と死水(シニミズ)を入れた桶を天秤に担いで下界に行かせた。「人間には変若水を、蛇には死水を与えよ」との心づもりである。しかし彼が途中で桶を下ろし、路端で小用を足したところ、蛇が現れて変若水を浴びてしまった。彼は仕方なく、命令とは逆に死水を人間に浴びせた。それ以来、蛇は脱尾して生まれかわる不死の体を得た一方、人間は短命のうちに死ななければならない運命を背負ったという。

月と太陽の慈悲がかえって人の死という悲劇の誕生となったが、神は人を哀れみ、少しでも若返りできるよう、その時から毎年、節祭の祭日に「若水」を送ることとなった。これが「若水」の行事の起こりである。

若水信仰の起こり
中国の古い伝説には若返りの仙薬の話が幾つもあり、『淮南子』には、姮娥が西王母の「不死の薬」を盗んで月の世界に走った話がある。このような仙薬の話が、若返りの薬の発想の由来となったとも見られる。これと同じ発想の話は世界中に広がっており、フレイザーは死の由来話を分類して、蛇など脱尾する動物にからむ「蛇と脱尾(脱皮?)」型と、月の満ち欠けを人の死の由来を結びつけて考えた「月盈虚」型に分けている。アカリヤザガマの話は両者の結合した形となっており、しかもその話の結尾が若水の行事の由来話となっている。

このように古くから世界中で月と不死・再生が結び付けられて来たのは、月の盈虚が見せる死と再生の姿であろうと考えられている。月は新月から上弦の月、満月、下弦の月、新月…という満ち欠けのループを繰り返している。すなわち、月が満月という盛りを過ぎて衰え、下弦の月となってしまいには新月として消えてしまうが、また三日月として夜空に復活する、というループが直接に死と再生を想起させ、そこから更に不死と不老を願う観念と結びついて、「若水」の信仰が成立したと考えられる。

2009年02月05日

THE KING OF FIGHTERS 2002

フルタイトルは『THE KING OF FIGHTERS 2002 -Challenge to Ultimate Battle-』。ストライカーの廃止により、バトル形式は完全な3x3になった。ネスツ編が完結したことで、『'98』同様な雰囲気の作品となった。オロチ編とネスツ編の集大成であるが、ネスツ編のキャラクターが数人削除され、オロチ編のキャラクターが復活している。開発は『2001』同様イオリスとブレッツァソフト、販売はプレイモアがそれぞれ担当した。
ダイビ ワサビン ナンピン ライトウイ ブーケ ラケット スーパ スキッダ プラネット 組曲 ナイロン リテラ オーベル シェアリ 白鳳支援 ムート ふるさと ジャパニ キチネッウ ヌビア てかばん クロア パート ラザーニャ ファイター ナポレオン ファタ ウコン パワー ブース ロビューム クーペ ラゴス ユグノー チラム トラサ あわせばお アカ パンフレット スパン バドミン ミレー フルー ミリーカー スカイプ ファン トリプ ハジ カソード シノニム

基本的なシステムは'98の「ADVANCED」を継承。大きく異なる点としては、パワーMAX発動中にのみ、通常技の普段キャンセルできないポイントや、必殺技をキャンセルして別の必殺技を出す事が出来るどこでもキャンセルが使用できることがある。使うとパワーMAX状態の残り時間が少し減る。また、このシステムのためパワーMAX発動中は攻撃力が逆に減少する。
隠し超必殺技としてMAX2が存在。通常のMAX超必殺技の条件に加え、体力ゲージが一定量まで減ると使用できる。この点は『龍虎の拳』シリーズの隠し必殺技や『餓狼伝説』シリーズの潜在能力に類似している。また、この名称が判明するまでは「ファイナルベント」の俗称があった。
グラフィックやBGМの評価は低いが、ゲームバランスの良さからKOFシリーズの中でもかなり人気の高い作品のため、現在でも稼働している所が多い。
出場キャラクター
チーム名 メンバー
日本チーム 草薙京 二階堂紅丸 大門五郎
餓狼伝説チーム テリー・ボガード アンディ・ボガード ジョー・ヒガシ
龍虎の拳チーム リョウ・サカザキ ロバート・ガルシア タクマ・サカザキ
怒チーム レオナ ラルフ クラーク
サイコソルジャーチーム 麻宮アテナ 椎拳崇 鎮元斎
女性格闘家チーム 不知火舞 ユリ・サカザキ メイ・リー
韓国チーム キム・カッファン チャン・コーハン チョイ・ボンゲ
'96チーム 八神庵 マチュア バイス
'97チーム ブルー・マリー ビリー・カーン 山崎竜二
'98チーム 七枷社 シェルミー クリス
'99チーム K' マキシマ ウィップ
2000チーム セス ヴァネッサ ラモン
2001チーム
(乱入キャラクター) クーラ・ダイアモンド K9999 アンヘル
ボスキャラクター
(家庭用でのみ使用可) オメガ・ルガール
オロチチーム
(隠しとして使用可) 乾いた大地の社 荒れ狂う稲光のシェルミー 炎のさだめのクリス
隠しキャラクター KUSANAGI
家庭用追加キャラクター
(DC版・PS2版・Xbox版) 矢吹真吾、キング(ネオジオ版では背景に登場)
家庭用追加キャラクター
(PS2版、Xbox版) ギース・ハワード(ネオジオ版とDC版では背景に登場)
ゲーニッツ、ツキノヨルオロチノチニクルフイオリ

HE KING OF FIGHTERS 2003
アッシュ編(現在継続中)第1章。
開発が韓国から日本主導に戻る。開発はSNKネオジオ(旧:サン・アミューズメント)が、販売はSNKプレイモア(旧:プレイモア)がそれぞれ担当した。新たなシステムとして、ラウンド制が廃止され、全員KOされるまで試合が続行される途中交代可能なマルチシフト制が導入された。また、MAX超必殺技がリーダーのみが出せるリーダー超必殺技に変更された。
MVSでリリースされたKOFシリーズのうち、日本国内では唯一無二の単体基板(MV-0)で発売されたタイトルで、MV-6等の複数スロット基板に入れて稼動する事が出来ない為、現在では稼動している店舗が殆どない(なお、海外向けの後期出荷のみではあるが、通常のROMカートリッジ版も存在する)。
キャラクターイラストは新たにFALCOONが担当(後に彼は家庭用KOFのプロデューサーへ)。新章のストーリーでは、オロチ編を伏線に利用しつつ、新たな展開と奇抜な新主人公アッシュの活躍が描かれている。
PS2版では主人公チーム3人のさらなる設定が収録されていたり、システム面を調整した「アレンジモード」が追加されている。
ネオジオ最後のKOF(ちなみにネオジオ最終作品は「サムライスピリッツ零スペシャル」)。ネオジオ版のKOFでは唯一、最初の操作説明画面に説明役のキャラクターが存在しない。
出場キャラクター
チーム名 メンバー
主人公チーム アッシュ・クリムゾン デュオロン シェン・ウー
餓狼チーム テリー・ボガード ジョー・ヒガシ グリフォンマスク
極限流チーム リョウ・サカザキ ロバート・ガルシア ユリ・サカザキ
怒チーム レオナ ラルフ クラーク
女子高生チーム 麻宮アテナ 四条雛子 まりん
韓国チーム キム チャン・コーハン ジョン・フーン
女性格闘家チーム 不知火舞 キング ブルー・マリー
アウトローチーム ビリー・カーン 山崎竜二 牙刀
K'チーム K' マキシマ ウィップ
紅丸チーム 二階堂紅丸 大門五郎 矢吹真吾
エディット専用 草薙京、八神庵
隠しキャラクター KUSANAGI、神楽ちづる
ボスキャラクター
(一部家庭用でのみ使用可) 最終ボス:アーデルハイド
中ボス(条件あり):神楽ちづる・神楽マキ
最終ボス(条件あり):無界

THE KING OF FIGHTERS XI
2005年稼動。ATOMISWAVEで発売された正規のKOFシリーズ。アッシュ編第2章。SNKネオジオを吸収合併したSNKプレイモア単独による開発・販売となる。前編より一年以上開いたため、タイトルの年号が廃止される。前作『2003』のシステムを正統進化させたものを採用。『2003』よりも操作性やゲームバランスは格段に改善された。
イラストはヒロアキが担当。ゲーム中のデモグラフィックなどはノナが担当。
タイムアップ時による判定が、攻撃を当てることでバランスが傾く「ジャッジメントインジケーター」に変化し、体力に依存するものではなくなった。なお、この作品がアトミスウェイブでの最後のKOFとなった。
PS2版の家庭用ではシステム面やキャラクターを調整した「アレンジモード」、『ネオジオバトルコロシアム』からの家庭用追加キャラクター、オリジナルアレンジBGMなどが追加されている。
アトミスウェイブ版はROMカセットを採用しているにもかかわらず、試合開始までの読み込み時間がメディアがDVD-ROMであるPS2版よりも長い。これはアトミスウェイブ基板の、「処理中のロードが非常に困難」という特殊な構成によるもの。
出場キャラクター
チーム名 メンバー
主人公チーム アッシュ・クリムゾン オズワルド シェン・ウー
ライバルチーム エリザベート・ブラントルシュ デュオロン 二階堂紅丸
餓狼伝説チーム テリー・ボガード キム ダック・キング
龍虎の拳チーム リョウ・サカザキ ユリ・サカザキ キング
怒チーム ラルフ クラーク ウィップ
サイコソルジャーチーム 麻宮アテナ 椎拳崇 桃子
エージェントチーム ヴァネッサ ブルー・マリー ラモン
餓狼MOWチーム B.ジェニー 牙刀 グリフォンマスク
アンチ極限流チーム 如月影二 藤堂香澄 まりん
K'チーム K' クーラ・ダイアモンド マキシマ
京&庵チーム 草薙京 八神庵 矢吹真吾
乱入キャラクター
(タイムリリースで使用可) アーデルハイド・バーンシュタイン、天童凱
ジャズウ、ズィルバー、ショー・疾風
ボスキャラクター
(PS2版でのみ使用可) 中ボス:紫苑
最終ボス:禍忌
家庭用追加キャラクター 不知火舞、EX草薙京(性能違い)、ギース・ハワード
ロバート・ガルシア、Mr.ビッグ、タン・フー・ルー、双葉ほたる

2009年01月21日

オデッサ・ファイル

『オデッサ・ファイル』(The Odessa File )は、イギリスの作家フレデリック・フォーサイスが書いたサスペンス・スリラー小説。

若いドイツ人記者と元ナチのための組織「オデッサ」との間の暗闘を描く。処女作『ジャッカルの日』と並ぶフォーサイスの代表作。

タイトルは1964年2月末、当時の西ドイツ司法省宛に、匿名の人物によって郵送で引き渡された、「オデッサ」の支援を受け海外逃亡した元親衛隊(SS)隊員達の、顔写真や詳細な所在などを記録したファイルの通称にちなむ。

1974年にイギリスで映画化された(ジョン・ヴォイト主演)。

ストーリー
ドイツ降伏直前、ナチス政権下でユダヤ人の絶滅政策を遂行してきた親衛隊の幹部たちは、連合国軍の追及を逃れるため、「オデッサ」と言われる秘密組織を立ち上げていた。それは元SS隊員たちの国外脱出を支援するなど庇護を行なう組織であった。

ある若いドイツ人のルポライターが、一人の老ユダヤ人の自殺と遺された日記をきっかけに、強制収容所長の一人が司法の追及を逃れてドイツ国内で堂々と生活している事を知る。しかもその男は、国防軍中尉だった自分の父を殺し、戦死に仕立て上げた人物だった。

その所在を掴もうと試みるが、同志を庇おうとするオデッサの妨害は、彼を命の危険にまで曝すようになる。ついに彼は、調査中に知り合った、収容経験者で作るユダヤ人過激派グループの力を借り、居場所を突き止めたら彼らを通じてモサドに知らせる条件の下に、6週間にわたる特訓を受けて元SS隊員になりすまし、組織に潜り込む。モサドの目的は、この元所長を含むナチ残党がエジプトと組んで計画したイスラエル攻撃の阻止でもあった。

元所長の所在を確認し対峙した彼だったが、所長の側近に殺されかけ所長は南米へ逃亡する。しかし調査の過程で偶然入手した「オデッサ・ファイル」を司法省に引き渡す事に成功。オデッサのイスラエル消滅計画は水泡に帰した。

逸話
登場人物の元強制収容所長エドゥアルト・ロシュマンは、実在の人物。リガにあったカイザーワルド強制収容所の歴代所長の一人で、“リガの屠殺人”と呼ばれた。1977年8月、パラグアイで死亡が確認されている。

フォーサイスはロシュマンをはじめ実在のナチス関係者や組織についてかなり詳細な情報を入手して作品を執筆したとされる。後年、ロシュマンの検死をした関係者が「フォーサイスの小説では、ロシュマンは逃亡中に足の指を数本欠損したと書いてあったが、それは事実だった」と述べている。この作品の出版に当たっては、作者のフォーサイスの元には多くの脅迫状が届いたと言う。
1537年にブエン・アイレからの探検隊によりアスンシオンが建設されると、スペイン領となった。この建設はラ・プラタ川からアルト・ペルーへの陸路と存在すると思われた「銀の山」を探すためであり、かつポルトガルの領土拡張に対する防塞建設のための遠征の結果だった。 チャルーア族のようなラ・プラタ地域の狩猟インディヘナとは違って、粗放とはいえ農耕を営んでいたグアラニー族は文化程度も高く、スペイン人との同盟により敵対していた他のインディヘナと対決することを決め、スペイン人もこれを受け入れたので両者の間に交流が生まれ、混血者(メスティーソ)も発生していった。

1617年、アスンシオンを中心とする総督領から、ブエノスアイレスを中心とするラ・プラタ総督領、サン・ミゲル・デ・トゥクマンを中心とするトゥクマン総督領が分離する。17世紀以降はイエズス会宣教師による先住民への布教活動が、農業活動なども含めて活発に展開された。現在も残るイエズス会布教所跡はこの時に建設されたものがほとんどである。イエズス会はブラジルのサンパウロからやってくる、バンデイランチと呼ばれた奴隷商人への抵抗のためにグアラニー人に武装させた。ポルトガル人奴隷商人によって多くのグアラニー人が奴隷となってブラジルに連行されたものの、この軍隊はしばしばポルトガル人を破ってスペイン植民地の辺境を防衛する役目を担った。ローマ教皇に直属し、以後スペイン王室や副王の役人も容易に口出しできなくなったイエズス会の伝道地は、原始共産主義的な様相を帯び、自主自立の独立国家のような存在として、その後も他の地域のインディヘナが味わったような辛酸には至らず100年近く平和に存在し続けた。
キッズ ダーツ すぎな ゼンス サイド カッド 羊の歩み ジニア テンゴリラ ハミング タイトピ すくなか ゲルマ シガレット オーガィ パーシ ヒトゲ メーション ダーパア シリカセ パワー オーテア ミステリー イアタ バクシーシ ミトラ 日本全 ハンガー グプラン インツ ゼウス ピラティ ビーチ フェース ジョッ コアラー スターチ インキャラ チューニ なんぽろ チラリ レーザー だいだい レンニン リケーション トロー ブリッチ マスアキ テンプツ ステーツ

1750年代以降は、グアラニー戦争により、 バンダ・オリエンタル(現在のウルグアイに相当)からグアラニー族が撤退してきた。その後すぐ1768年のスペイン王室の決定によるイエズス会の追放によりイエズス会は南米から撤退することが決まり、当地のグアラニー人達はスペイン・ポルトガルの直轄支配下に置かれることとなった。

1776年にリオ・デ・ラ・プラタ副王領がペルー副王領から分離されるが、その後もパラグアイは余り大きな発展もしないまま月日が流れていった。

2009年01月14日

春秋戦国時代に著されたとされる兵法書

『呉子』(ごし)は、春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。武経七書の一つ。古くから『孫子』と並び評されていた[1]。しかし著者ははっきりとしない。中身の主人公でもある呉起またはその門人が著者であると言われるが、定かではない。
ソルジャー ルーツ りゅうき キャリ ニジェール ロック レード ハレルヤ こごた 茶色の小 バックシ タイヤ シホウチ コラン サイレ ジャーキー ハプテン ファースト ハプ くみん ケニア モンバ ギア ルーブル ニサバル 一致団 モザン パゴダ ツーソン カナイマ レツレツ ファイザー レジレソ フリートーク ひらたけ オペラ レソト チェダー レシオ サバト おとぎ ワッペ リップ エピス ハーフメイ モダニ マスツ アデス ディンイン すながわ


内容は呉起を主人公とした物語形式となっている。現存している『呉子』は六篇だが、漢書芸文志には「呉子四十八篇」と記されている。

『孫子』と並び評される兵法書であるとされるが、後世への影響では『孫子』には遠く及ばない。これは内容が春秋戦国時代の軍事的状況に基づくものであり、その後の時代では応用ができなかったのが原因であると言われる。逆に『孫子』のほうは、近代戦にまで応用できる普遍性により世界的に有名になっている。

序章 - 呉起と武侯との出会いを描いていて一番物語りに近い。篇に加えず
図国 - 政治と戦争について記す
料敵 - 敵情の分析の仕方を記す
治兵 - 統率の原則を記す
論将 - 指導者について記す
応変 - 臨機応変(法家思想)について記す
励士 - 士卒を励ますことについて記す

名言集

和して、しかる後に大事をなす
古来、国家を治めようとする者は、かならず第一に臣下を教育し人民との結びつきを強化した。団結がなければ戦うことはできない。その団結を乱す不和が四つある。

国の不和 - 国に団結がなければ、軍を進めるべきではない。
軍の不和 - 軍に団結がなければ、部隊を進めるべきではない。
部隊の不和 - 部隊に団結がなければ、戦いをいどむべきではない。
戦闘における不和 - 戦闘にあたって団結がなければ、決戦に出るべきではない。
したがって、道理をわきまえた君主は、人民を動員するまえに、まずその団結をはかり、それからはじめて戦争を決行する。また、開戦の決断は、自分だけの思いつきによってはならない。[2]

敵状を察知する法
武侯が尋ねた。「敵の外観を見て内情を判断し、敵の進み方を見てどう止まるかを推測し、それによって勝てるかどうかを事前に判断したいと思うが、こうした事が分かるものだろうか?」

呉起は答えた。「敵の来襲する様すに、落ち着きが無く、旗印が乱れ、人馬がおどおどしている様ならば、それは確固たる方針のない証拠です。一の力で、十の敵を撃つ事ができます。敵は、手も足も出ないでしょう。また、どの国とも連合する事が出来ず、君臣は離間し、陣地は完成せず、法令は行き渡らない、この様な敵の軍勢は恐れおののき、進むも、退くも思うに任せない状態になります。こんな場合は、敵の半分の兵力で充分です。何回戦っても負ける心配はありません。」[3]

百万人いても役に立たない
武侯が尋ねた。「戦争の勝利とは何によって決まるのだろうか?」

呉起は答えた。「勝利は治によって得る事が出来ます」

「兵力の多寡によるのではないのか?」

「法令が明確でなく、賞罰が公正を欠き、停止の合図をしても止まらず、進発の合図をしても進まなかったならば、百万の大軍があったとしても何の役にも立ちません。治とは即ち、平時では秩序正しく礼が行なわれ、戦時では威力を発揮し、進めば誰も阻止できず、退けば誰も追い得ず、進退は節度があり、左右はたちまち合図に応じ、連絡を絶たれても陣容をくずさず、散開しても隊列をくずさない。将兵が安危を共にし、結束していて離間させる事は出来ず、いくら戦っても疲労することはない。このような軍は、向う所敵無しです。これを指して父子の兵と言います」[4]

死の栄ありて生の辱なし
軍をひきいるには、武だけでなく文武を総合し、戦争をするには、剛だけでなく剛と柔とを兼ね備えなければならない。ふつう、世人が将を論ずる場合は、とかく、勇気という観点だけに立ちがちである。しかし、勇気ということは、将の条件の中の何分の一かにすぎない。勇者は、力を頼んで考えもなしに戦いをはじめる。利害を考えずに戦うのは、誉められた語ではない。

そこで、将の心すべきことが五つある。

理(管理) - どんなに部下が多勢いても、それを一つに纏める事である。
備(準備) - 一度門を出た以上、至る所に敵がいる積りで掛かる事である。
果(決意) - 敵と相対したとき、生きようという気持を捨てる事である。
戎(警戒、自戒) - たとえ勝っても緒戦のような緊張を失わない事である。
約(簡素化) - 形式的な規則や手続きを省略し、簡素化する事である。
ひとたび出陣の命令を受けたならば、家族にも知らせずそのまま出撃し、敵に勝つまでは家のことを口にしないのが、将たる者の礼である。いざ出陣というときには、名誉の死はあり得ても、生き恥は晒さないものと心得るべきである。[5]

少数で多数を撃つには
武侯が尋ねた。「味方が少なく、敵が多い時、どうすればよいか?」

呉起は答えた。「平坦な場所で戦うことは避け、隘路で迎え撃ちます。古い諺に『一の力で十の敵を撃つ最善の策は狭い道で戦うことであり、十の力で百の敵を撃つ最善の策は険しい山地で戦うことであり、千の力で万の敵を撃つに最善の策は狭い谷間で戦うことである』とあります。かりに小人数でも、狭い地形をえらび鐸(たく)をうち鼓を鳴らして、不意打ちをかければ、いかに相手が多人数でも驚き慌てます。ですから、『多数を率いるものは、平坦な戦場を選ぼうとし、少数を率いるものは、狭隘な戦場を選ぼうとする』といわれています。」[6]

決死の勢い
武侯が尋ねた。「賞罰を公正にすれば、勝利を得る事が出来るだろうか?」

呉起が答えた。「私ごときに判断できる問題ではありませんが、賞罰はそれ自体、勝利の保証とはならないかと存じます。

君主が号令を発すれば、喜んで服従する。
動員命令を出せば、喜んで戦場に赴く。
敵と刃を交えれば、喜んで一命を投げ出す。
この三つの条件が満たされてこそ、勝利は保証されるのです」

「どうすればよいか?」

「功績のある者を、抜擢して手厚く遇することはもちろん、功績のない者に対しても激励のことばをかけてやるのです