ソロイのクリュシッポス(クリューシッポス, ギリシャ語:Χρύσιππος ? Σολεύς, Chrysippus of Soli, 紀元前280年頃 - 紀元前207年頃)は古代ギリシアの哲学者。クレアンテースの弟子で、その跡を継いでストア派の学頭となった。ストア主義第二の創設者と言われるように、クリュシッポスはストア主義をギリシア・ローマ世界の有力な哲学の1つにした。
クリュシッポスの幼児期についてはあまり知られておらず、わかっていることといえば、タルソス近郊で育ったことくらいである。おそらく、そこで哲学の教えに接したのだろう。相当な遺産があったが法的にそれを失った後、哲学を学ぶためアテナイに移った[1]。それからクリュシッポスは、ストア派の創始者であるキティオンのゼノンに魅了され、クレアンテースの弟子となった。
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クリュシッポスは大の討論好きで、弟子たちから引き出した批評のどちら側にも立って議論した。また、1日に500行書かない日は滅多になかったと言われ、700作を越える著書を書いたが[2]、現存しているのは、キケロ、セネカ、ガレノスなどの後世の著作の中に引用された、ごくわずかの断片だけである。
クリュシッポスは、イチジクを食べさせたロバにワインを与えようとして、笑い死に(en:Fatal hilarity)したと言われるが[3]、この話はどうも眉唾物である[4]。
クリュシッポスのイデオロギーのほとんどは、ゼノン、アルケシラーオス、キオスのアリストン(en:Aristo of Chios)の教えから形成されたものである。後にはクレアンテースの教えに染まったが、いろいろな点で不満なところがあり、それは変更することにした。